自問自答 開院9年目を迎えて

今年の6月で当院は9年目を迎えます。何とかここまで、医院を維持できましたのも、ひとえに地域の皆さまのお力添えによるものであり、厚くお礼を申し上げます。さて、昨今、医療人のモラルの低下が問題となっていますが、この点につき思うところを少し述べさせていただきます。
 少し前ですが米国のハンナ・アーレントという女性哲学者が日本でブームになっていました。このブームの火付け役は同名の「ハンナ・アーレント」という映画ですが、この映画は東京の劇場で大当たりを取ったそうです。このような地味な、しかも硬派な映画が評判を呼ぶということで、東京という都市の懐の深さ、すごさを改めて感じました。
 ハンナ・アーレントはナチスからの迫害を逃れて米国に亡命したユダヤ人の哲学者です。彼女は戦後、雑誌社の特派員として、ユダヤ人の虐殺に関与したドイツ人のアイヒマンという将校の戦争裁判を傍聴する機会を与えられました。そこで彼女が見たアイヒマンは決して極悪人と言う感じの人物ではなく、どこにでもいるありふれた人物のように映りました。その後、アイヒマンはごく普通の人物であることや、ユダヤ人の指導者の中にナチスの行為に加担した者がいるとの事実を記事にしたことが原因で、彼女はユダヤ人社会から激しい批判を浴びました。激しい非難のなかで大学の教職からの辞職を求められたときの、学生の講義での火の出るような演説のシーンが映画での最大の見どころです。
 悪とは決して特別なものではない、社会の中で普通の人が何らかの原因で思考停止に陥ったとき、彼らは人間性を失い、とんでもない悪事を働くことがあると彼女は主張し、「悪の凡庸さ」と名付けました。同様の例は実社会でもよく見られます。例えば上司の命令だったからしょうがないとか、皆がするからしょうがなかった等など、いじめ等でよく見られる言い訳ですね。彼女はこのような場合に善悪を見分ける力は、考えることによってしか得られないと主張します。映画の中でも「考えろ、考えろ!」がキーワードになっています。
 これだけ変化の早い現代社会では、既存のモラルだけでは対処できない状況になっています。我々、常人は忙しさに流されて、充分に考えずに安易に物事を行うと、とんでもない過ちを引き起こす可能性を常に持っています。「悪の凡庸さ」に陥らないため、今後も医療人に求められるモラルについて考え抜き、常に自問自答することを心がけ、スタッフにも同様の姿勢を求めてゆきたいと考えます。